飯玉神社について

歴史

  • 東日本最古の前橋天神山大古墳群の中心に鎮座

    当社は、四世紀頃の東日本最古の前橋天神山大古墳群の中心に位置し、その社自体も一古墳上に鎮座しております。古代、この地方一帯は大豪族一上野毛氏かみつけぬしの領地であり、豊かな田園が広がり、東国の一大文化圏でありました。平安時代、朝廷により記録された「上野国神名帳こうずけのくにじんみょうちょう 」にある「毛野明神けぬみょうじん」とは当社と思われます。

    統治は、「後閑郷ごかんごう」と呼ばれて、非公田の土地でした。「後閑」とは有力豪族が都に上り朝廷に仕え退官後、郷里に帰り先祖の墓所の近くの土地で、閑に暮らす地名と云われています。源平の争乱以降、各地の武士団に支配されてきました。鎌倉時代には武蔵国むさしのくにの出身、丹治たんじ氏の所領になっていた記録が「鎌倉幕府関東下知状」にあります。

  • 五穀豊穣の祖神
    「保食命(うけもちのみこと)」

    室町時代初期、関東地方を襲った台風による大洪水及び、幾多の天候不順のため凶作が続き、困窮の中、藤原氏一門の所領地(利根庄)にまつられている五穀豊穣の神「保食命うけもちのみこと宇気母智命うけもちのみこと」を新たに合祀して稲魂いなだまを語源とする「稲玉明神」と改称されました。

    うけもち

    天地の恵みにより食物が育ち実る、まさに諸産業の守護神と云う意味です。

  • 神の使いお白狐の出現とともに
    諸産業の守護神として信仰される霧島稲荷

    江戸時代後期、後閑山(当社周辺)にお白狐びゃっこ出現でると広く伝わり、以前より奉斎されていた稲荷大神が、養蚕の急速な普及に伴い、産業の守護神として厚く信仰されました。(当社は神祇官より「正一位しょういちい」を賜る)

年中行事

  • 1月
    元旦祭/奉幣祭/天神祭
  • 4月
    春季大祭/淡島祭
  • 7月
    大祓式/天王祭
  • 8月
    琴平祭
  • 11月
    新嘗祭
  • 12月
    稲荷祭/北辰祭